集合的無意識?阿頼耶識?
「ずるい人が周りからいなくなる本」(大嶋信頼著)というのを読んだ。(正確には、読み進めている途中で、1/3程度を読み終わった状態)
この本で(読んだ範囲で)言われている内容を少し要約すると、以下のような感じ。
- ずるい人を見ると、いやな気持になったり、頭にくるのは、花粉症の症状と同じで、ずるい人に対する反応(ずるい人を判断するシステム)が暴走してしまうからである
- 花粉症の対処方法として、マスクや眼鏡で花粉をさけたり薬を飲んだりする方法があるが、いやな人に対する対応としても同じような対応を取りがちである
- 花粉症の対処方法として、暗示による方法が効果を発揮する(ことが確認されている)
- ずるい人に頭にくるなどの対処方法としても、同様に暗示による方法が効果を発揮する(ことが期待される=本書の主張)
で、上記の暗示の具体的な方法として、(花粉症の対処と、ずるい人への反応の対処が全く同じということであるが)、反応に関係のある遺伝子の暴走(花粉症に対する遺伝子のスイッチが入ること)を抑えるために、「〇〇○(遺伝子の名前)の還元」と、7回繰り返し唱えるということが提唱されている。
ここで、「還元」とは、「症状の原因遺伝子をオフにして、元の生まれたときの状態に戻れ!」というコマンド(身体に命令を出す用語)だそうです。
また、反応する遺伝子にはいくつか種類があり、人によって、発症に関係している遺伝子は違っているとのこと。なので、人ごとに、〇〇〇は変わる(この本では4種類提示されている)。
そこで、今は発症していないが、私も花粉症ではあるので、上記の暗示の呪文を唱えて効果があるか試してみることにした。
つまり、「○○○の還元」これを7回繰り返してみた。
そうしたところ、今花粉症の症状が出ていないので、花粉症が改善しているかどうかはわからなかったが、逆に少し頭が痛くなってきたような気がした。ただ、その頭の痛みも気のせいかすぐなくなってしまったので、続けて、何度か繰り返し唱えてみた。
すると、なんとなく、イライラするような感じがなくなったような気がしてきた(それまで、イライラしていたのだと気が付いたという方が正確だったと思う)。それまでよりも穏やかな、落ち着いた感じだった。
これは効くかもしれないと思ったのが、ここで少し疑問がわいた。
- 〇〇〇という遺伝子の名前は、今回初めて知って、それが具体的にどのような働きをしているかも知らないのに、なぜこの暗示が聞くのか?人によって、〇〇〇が変わるということなので、〇〇〇はなんでもよいというわけではないということなので、なおさら〇〇〇の文言が重要なはずなのだが、それに対する知識がまったくないのに、なぜ、この暗示が聞くのか?
- 仮に、〇〇〇を知らないのは、意識のレベルであって、無意識や、身体の遺伝子レベルでは知っているという可能性もあるが、この遺伝の発見は最近のものだろうから(←詳しく調べてません)、自分が見聞きしない情報(かつ、生まれる前のタイミングでは知りえない情報)について、遺伝子にその情報が入っていたとは考えられない(遺伝子が、人間が遺伝子につけた名前を知っているとは思えない)。
- どのようにして、身体、あるいは、無意識は、この情報(遺伝子の名前)を知ることができるのだろうか?
自分の理解できる範囲では、上の暗示が効くということは、〇〇〇とは何かを、身体あるいは無意識は知っていて、それに対して的確に命令を出しているということになる。しかし、〇〇〇が何かを、身体あるいは無意識(など)はどうやって知ることができるのだろうか?
可能性として思いついたことは、
- 身体、あるいは無意識は、何らかのデータベースに直接アクセスする方法があり、そこから、その時点の最新の情報を引き出すことができる
というものである。上記のデータベースは、少なくとも人類共通のものであり、自分が一度も目にしたこと・知りえたことのないものであっても、他の人が得た情報であれば、そこに記録され、誰でも参照可能なものである必要がある。
上のようなデータベースがあるような話は、エドガー・ケーシー関連の話で、聞いたことがあるし、もしかすると集合的無意識とか、阿頼耶識というものが上記と関係あるのかもしれない、などと想像してみた。
このような疑問を持ち、興味が拡大してきたが、まずは、本書で主張されている、暗示による「ずるい人」への反応の抑制について、引き続き本書で学んで行きたいと思っている。
その先で、上記の疑問についても考察していきたいが、この話題は、念仏の効果にも関係してきそうな気がするので、そちら(仏教?)も併せて、勉強していきたいと思っている。
日光 ~山のレストラン~
東照宮を後にしたのが午後2時頃、そこから遅い昼食をとるために、前もって目星をつけていた「山のレストラン」に電話予約を入れてみると、電話予約は受け付けておらず、店まで行って順番待ちをする必要があるという。
車で、東照宮から30分くらいかけていってみると、まさに小高い山の上に、レストランがあった。
お店に入って順番待ちの予約をすると、1時間待ちということだった。1時間程度なら待とうということになって、それぞれ、時間つぶしをすることにした。山のレストランの2階が待合室になっていて、そこには1階の食堂にあるのと同じテーブルと椅子があり、そこで待って居ることできた。また、近くに、霧降の滝という観光名所もあり、ちょっと歩けば、観瀑台からその滝を観ることもでき、1時間程度なら暇を持て余すこともなさそうだった。
東照宮を歩いて少し疲れていたこともあり、それぞれしばらく休んでいたが、それに飽きたころに、皆で滝を観に行くことにした。山の中の細道を10分くらい歩いていくと観爆台についた。そこは、滝の流れる山に向かい合う、こちらの山の上にあり、谷を隔てて見下ろす形で、その滝を見ることができる位置にあった。
その日は、天気は良かったが風があり、まだ冬でもあるので寒かったこともあり、腰を落ち着けて滝を観る感じにはならなかったが、遠くに見る滝も面白いなと思った。葛飾北斎が絵にも描いた滝らしいが、寡聞にして知らなかった。
そうそうにそこを後にしてレストランに戻って2階で待って居ると、予定より10分くらい前に呼ばれた食事が始まった。料金は安いということはないが、2000円くらいで、かなりのボリュームの食事が食べられるので、観光地のメニューとしては手軽でいいと思った。ウェイトレスが親切にお水を進めてくれるので、何杯もお変わりした。
味も悪くないし、おなか一杯食べられて満足だった。
北斎も 見た滝隠す 冬の枝
日光 ~東照宮~
チケットを買って、入口を通ってから1時間弱くらいして、やっと東照宮の御本社に参拝することができた。
本殿の中に入り、順番を守っておくの部屋に進んでいくと、そこで若い神主さんが、皆をまとめてお祓いしてくれて、その後説明を始めた。戦国時代は、大名しかこの部屋に入れないだとか、大名の石高は、今の時代のお金に換算すると何十億だとか、そんな景気のいい話だった。
最後のこの部屋の先で売っているお守りの宣伝をしていて、ここまでの通り道にあるお守りを物色していただけ、まだ決めかねていた自分は、その講釈をうのみにして、そのお守りを買ってしまった。といっても、後悔するようなものではなく、こじゃれた、かわいいお守りだった。
次に、薬師堂(本地堂)に入って、鳴き龍を拝んだ。お坊様?が、拍子木をたたくと、カーンという音のあとに、確かに高く細い、鈴が鳴るような反響音が聞こえた。
ここでも、お守りを宣伝していたが、すでに一つ購入済だったので、ここではかわなかった。もう一つ、別に欲しいお守りがあったからでもある。
お堂を出て、後は帰路なのだが、途中の売り場で気になっていた守りをもう一度見て買うかどうか迷っていると、別のお客が続けて2名もそのお守りを買っていくのが見えた。ちょっと恥ずかしい気もしたのだが、買う人が多いのに勇気つけられて自分も買うことにした。
そのお守りとは、三つ葉葵の紋様がついている印籠の形の交通安全のお守りだった。水戸黄門が、最後に出すあの印籠そっくりのお守りである。ご利益がありそうかどうかは❔だが、車に置いておいたら面白そうだった。
家族にもそれぞれのお守りを買って、東照宮を後にした。
印籠の 三つ葉葵が 目に入る
日光 ~東照宮~
日曜日の昼近く、市営駐車場に車を入れて、脇の細い坂を上って、参道に出た。
表参道の微妙な坂を上り、券売所で家族分の入場券を買って、入口で券を渡すと、券を切る係りの人から、「マスクをちゃんと鼻までかけて」と、怒った口調で注意された。
いきなりの洗礼だったが、これが戒律に厳しい仏教関係者故のことなのか、この人個人の性格によるものなのか、引っ掛かりながらも、素直にマスクをして通り過ぎた。
しかし、私も少々仏教を学んでいたので、この感情が後を引かないようすぐ調整して、憧れの東照宮に向けて、気持ちを切り替えることができた。
道順に沿って、進んでいくと、「眠り猫」という看板があって、皆そこを進んでいくので、私たちもそれに倣って進んでいった。門の一人ずつしか通れない狭い通路に「眠り猫頭上↑」という立札があり、その先には、急な登りの階段が見えた。「この階段の先に眠り猫がいるんだろうか?」と一瞬思ったが、真上の見上げると、門の扉の上にある装飾に、眠った猫の彫刻があった。これが眠り猫だった。
だが、家族はそれに気が付かず、階段の上に眠り猫の作り物があるというような勘違いをして進んだようだ。階段は、200段以上もあり、かなりきついものだった。階段の頂上は家康公の慰霊があり、皆これを見るために上っているのだろうが、私の家族のように、何割かは、眠り猫を見るために上っていると勘違いをしている人もいたかもしれない。
「どこに眠り猫があるの?」と質問してくる嫁に、家康公の慰霊の脇に立てかけてあった眠り猫の下手な絵を指し、これだと冗談を言ったが、もちろん信じてもらえなかった。「来る途中にあったよ」というと、「見逃した」と残念がっていたが、「帰り道で見れるよ」と教えてやると、期待した感じで階段を降りだした。
入口の門のところで、「この上だよ」というと、まだ理解できていなさそうだったので、指さして教えてやると、しばらく驚いたように見ていたが、その後がっかりした表情で、「上にもっと大きな猫がいると思って頑張って上ったのに、こんなところにこんなに小さい猫がいるだけか」と、少々怒りも含んだ感じで悪態をついていた。
アホが見る 階段の上の 眠り猫
日光 ~華厳の滝~
<
p>日曜日、奥日光の旅館を10時前にチェックアウトして、目的の東照宮に向かって出発したが、その途中で華厳の滝によることにした。
駐車場の脇から見る華厳の滝は、上から見下ろすような感じだったが、有料のエレベータで下に降りることができて、そのほうが迫力があるということで、降りてみた。エレベータで100Mほど下に降り、そこから通路を1分程度歩くと、華厳の滝を目の前に見ることができる見晴らし台にで出た。
下から見上げる滝は、高低差もあり、流れ落ちる水の音も大きく、周りのむき出しの岩肌のごつごつした感じと相まって、さらに3月の寒さも手伝ってか、厳しいという言葉がふさわしい印象だった。かつてこの滝で身投げした学生がいるという嫁の話も、一層厳しさを搔き立てた感じだった。
見晴らし台は、滝つぼを少し見下ろせるくらいの高さにあるのだが、滝はその下の方にも続いて流れ落ちていて、一番底は見晴らし台から見て、さらに下の方にある。年を取って高所が苦手になってきた自分にとっては、滝のすごさも驚きだが、それよりもこの高さのほうが、恐ろしかった。一通り見終わったら、そうそうに立ち去った。
帰りのエレベータに向かう道(トンネル)の中で、嫁の話を思い出し一瞬背筋が凍り、歩く足に重さを感じたが、心の中でお経を唱えてやり過ごした。
滝の美しさを見ることができると思ってきてみたが、感じたのは、自然と、人生の厳しさだった。
滝つぼや 華を散らす 水の音
日光 ~奥日光の温泉旅館~
日曜日の東照宮参拝に先駆け、前日は奥日光の旅館で、温泉に入ってゆっくり休もうという計画だった。
東京から東北道経由で宇都宮に向い、宇都宮から日光バイパスに乗り日光駅近辺まで行き、そこから一般道で旅館に向かった。途中いろは坂を越える必要があり、少々体力を使ったが、日光駅から1時間くらいで、奥日光の旅館に着くことができた。東京の多摩地区から4時間強位で着くことができたと思う。
途中、中禅寺湖を過ぎて戦場ヶ原のあたりから、雪がちらついてきていた。ただ、地面に積もるほどではないので、速度も落とさず走ることができた。旅館の近くになると道路わきに少し雪が積もっている状態になり、スタッドレスにしておいてよかったと思わされた。
午後4時前には旅館についたので、本来なら食事までの間、ゆっくり温泉に浸かって休みたいところだったが、実はこれからもう一仕事しなくてはならず、まだ気が抜けなかった。あとから合流する娘を、日光駅まで車で迎えに行かないといけないのだった。
娘は午後7時ちょっと前に日光駅に到着する列車で来るという。雪も先ほどより降っていて少し地面にもつもり出していたので、1時間半くらいかけて安全に行くつもりで、5時半に旅館を出て、日光駅に迎えに行った。下りのいろは坂で少々時間を取られたが、それでも、1時間ちょっとくらいでついてしまった。娘を載せて、その日2度目のいろは坂越えをして、旅館に戻ったのは、午後8時15分くらい。
本来なら午後8時までに食事を始めなければいけなかったのだが、旅館の人に頼んで、家族が全員そろった後で少し遅めのスタートとさせてもらうことにしていたが、見込みよりは早く始めることができた。料理は、思ったよりもおいしく、家族全員でおいしく食べることができた。
食事のあとは、温泉の露天に浸かり、運転の疲れを癒した。
雪の日に 三度はきつい いろは坂
日光 ~出発前のハプニング~
2021年3月初旬の土日に、日光へ旅行に行った。
土曜日は、奥日光の旅館に泊まって温泉に入り、日曜日に目的の東照宮に行くという日程だった。
土曜日の朝、起きて準備をしようとして、ふと気になったことがあって旅館に電話してみると、案の定雪が降っているという。山のほうはまだ雪が降るかもしれないと思って、聞いてみたのだが、心配した通りだった。車で行くにはスタッドレスタイヤが必要だとのこと。今年は東京の方は雪が降らなかったので、スタッドレスを履く機会もなくノーマルのままだった。急遽タイヤ交換をしなくてはいけなくなった。
普段だったら自分で替えるところだが、これから長距離を運転する前に体力を使いたくないので、業者に変えてもらおうと、9時になってタイヤ交換の予約の電話を入れてみたが、すでに予約で埋まっていて、早くても11時でないと空きがないという。11時には出発したいと思っていたので、これでは間に合わない。ダメもとで、近所のガソリンスタンドに持ち込んで頼んでみたら、飛び込みでもやってくれるというのでお願いした。
スタンド内にコーヒーショップがあって、作業の間そこで待つことができ、さらにサービスでコーヒーも出してくれた。出発前のドタバタだったが、一息ついて落ち着けた感じだった。
30分もかからずに交換が終わって、家に戻った時は、まだ10時前だった。予定の時間に出発できそうだった。ところが、家族の方はぐずぐずしていて、出発の準備がまだできておらず、また、朝ご飯も食べていないので、食べてから行きたいとか言い出して、なかなか出発することができず、結局出かけたのは、12時ちょっと前になってしまった。
分け合って、家族での旅行は3年ぶりだった。分けは子供の受験のためで、1,2年の我慢と思ったのが、一浪してしまったため。3年ぶりの旅行となったわけだった。
何はともあれ、まずは目的地の奥日光の温泉旅館に出発である。
ひとり欠けた家族三人で車に乗り込んで、ナビに行先をセットして、いざ。
夏タイヤ 雪山いくので 替えなくちゃ